和気清麻呂は何をした人?

今日も、曖昧な知識を埋めていくべき勉強します。

和気清麻呂は何をした人か

今回は『Wikipedia』から編集

769年)宇佐八幡宮の神官を兼ねていた大宰府の主神(かんづかさ)・中臣習宜阿曾麻呂が宇佐八幡神の神託として、称徳天皇が寵愛していた道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる、と奏上する。道鏡はこれを聞いて喜ぶとともに自信を持ち(あるいは道鏡が習宜阿曾麻呂を唆して託宣させたともされる)、自らが皇位に就くことを望む

称徳天皇は神託を確認するため側近の尼僧・和気広虫(法均尼)を召そうとしたが、虚弱な法均では長旅は堪えられないため、代わりに弟の清麻呂を召して宇佐八幡宮へ赴き神託を確認するように勅した。清麻呂は出発にあたって、道鏡から吉報をもたらせば官位を上げる(大臣に任官するとも)旨をもちかけられたという。

一方で、道鏡の師である路豊永からは、道鏡が皇位に就くようなことがあれば、面目なくて臣下として天皇に仕えることなど到底できない、自分は殷の伯夷に倣って身を隠そうと思う旨を伝えられる。清麻呂はこの言葉を当然と思い、主君のために命令を果たす気持ちを固めて宇佐八幡宮に参宮する。

清麻呂は宇佐八幡宮大宮司に復した大神田麻呂による託宣、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告した。清麻呂の報告を聞いた道鏡は怒り、清麻呂を因幡員外介に左遷するが、さらに別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させて大隅国への流罪とした(宇佐八幡宮神託事件)。

神護景雲4年(770年)8月に称徳天皇が崩御して後ろ楯を無くした道鏡が失脚すると、9月に清麻呂は大隅国から呼び戻されて入京を許され、翌宝亀2年(771年)3月に従五位下に復位し、9月には播磨員外介に次いで豊前守に任ぜられて官界に復帰した。

宇佐神宮

全国約11万の神社のうち4万600社あまりが八幡社であり、その総本宮が宇佐神宮です。

1300年の歴史

境内の広さは約50万平方メートルで、イチイガシなどの樹林や、薄紅色の花が咲く蓮池など、豊かな自然の中で散策を楽しめるそうです。

感想

かろうじて名前を覚えているかどうかの記憶から、「あの話はこれか!」と納得したまとめ時間でした。和気清麻呂の行ない次第で、歴史が大きく変わる出来事です(道教が天皇になることを阻止)。

現代を生きる私も、日常の小さな決定を意識しながら今を生きていきたいと思いました。

読んでくださりありがとうございました。よい1日をお過ごしください。

タイトルとURLをコピーしました